『Zoomの道しるべ』ができるまで
『Zoom』はひとことで言えば、Web会議システムです。
非常に使いやすく、便利で安定しています。
セキュリティを懸念する意見もありますが、『過度に神経質になる必要はない』というのが、わたしの見解です。
脆弱な点があることも事実ですが、『事故の可能性があるから、車には一切近寄らない』という人はいないのではないでしょうか?
「前置きはいいからポイントを教えて!」という方は、すぐに下のボタンをクリックして、PDFをご覧ください。
少しお時間をいただけて、発信者である杉岡の思いやZoomとの関わり、そして21世紀に入って『何故、バーチャル世界が新天地とみなされるのか?』をお知りになりたい方は、そのまま読み進めてください。
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『始まりは、3.11』
東日本大震災は、わたしの人生の中では最大の歴史的事件でした。
東京にいて、実際に大きな揺れを感じたことも、その印象を強くしている一因と言えます。
ただし、新型コロナウイルスの影響は世界規模であり、それに関連しておきる日本の社会的変化は東日本大震災と同等、あるいはそれを超えるものになりそうです。
たとえば、さまざまな活動のオンラインへの移行。中でもZoomの活用は、これから当たり前になり、社会のインフラになっていくでしょう。
そのことをお伝えするに際して、やはり話を東日本大震災(3.11)から始めたいのです。
何故なら、あの時も『人と人がつながろうとしていた』からです。
東日本大震災が起きた2011年、わたしは麻布十番で働いていました。
麻布十番というところはお洒落な街と思われていますが、実は地元の方もたくさんいらっしゃる、ちょっと不思議な地域なんですね。
華やかなお店がある一方、昔ながらの古いお店もたくさんあります。
もともと、日比谷線が通る時に駅ができる計画があったそうなんですが、その時には「外からの人が増えるのは嫌だ」と言って、地下鉄の駅ができることを拒んだのです。
結果として、日比谷線の駅は六本木にでき、彼の地はどんどん発展していきました。
かたや、麻布十番は陸の孤島となり、さびれていく一方。
「これじゃぁ、まずい」ということで、南北線と大江戸線が通る時には、駅の設置を受け入れたのです。
そんなわけで、もともと住んでいた地元の高齢者とマンションに入った比較的若い家族、そして会社や商業施設で働く人が入り混じる不思議な街ができあがりました。
さらに言えば、大使館や外交官施設も数多く存在していますね。
麻布十番祭りが大変な人気なのは、他にはない歴史が独特の雰囲気を、つくり出しているからなのでしょう。
そうした事情から、東日本大震災が起きた14時46分に麻布十番にいたのは、地元の高齢者と子供たち、そこで働くたくさんの人たちでした。
わたしが勤めていたビルの裏手には小学校があったのですが、15時を過ぎると、その校庭は近隣で働く人の避難場所になりました。
総勢200人ほどだったでしょうか。
やがて、地域の防災協議会の会長である大塚さんが駆けつけました。
実は、わたしは大塚さんと顔見知りでした。
地域の中心である氷川神社の餅つき大会で知り合い、防災協議会にも参加をしていたからです。
地元のみなさんの集まりに、寄らせてもらったこともありました。
大塚さんの人となりに惹かれていたのが、一番の理由です。
大塚さんはいつも朗らかで気負いがなく、防災訓練などを楽しいものにしようと常に心をくだいていらっしゃいました。
『こんな大人になりたいな』と思わせていただいた方なのです。
3.11の時も、校庭に集まった200人の人に優しく語りかけ、備蓄してあった乾パンと水、希望する人には毛布を無償で配られました。
それらはもともと地元の人のために準備されていたものですが、不安な人たちのために使われたのです。
その決断をとても立派だと思いました。
ただし、実際には大塚さんご自身もとても不安だったそうです。
後日、大塚さんからは
『あの時、杉岡さんの顔を見て本当に嬉しかった。
200人の知らない人と向き合うのはとても心細かったので』
と言っていただけました。
そして、続けて口にされた一言は今でも忘れられません。
『備蓄とか、訓練とかいろいろあるけど、一番の防災は日頃の挨拶だね』
と。
人と人がきちんとつながれれば、深刻な困難も乗り越えていけます。
もちろん大災害に際しては、物理的につながれないことも少なくありません。
そんな時こそ、オンライン・システムは人と人とを強く結んでくれるのです。

『日本発の新しいシステム』
東日本大震災の後、わたしはしばらくの間、あるWebサービスの開発に関わっていました。
それはZoomによく似たシステムで、バーチャルな部屋に集まり、会話や情報発信を楽しむものでした。
『よく似た』と言ってもどちらかが相手を真似たわけではなく、技術応用の同時代性とも言うべきもの。最先端に見られる類似性でした。
特筆すべきは、それが『日本発』のアイデアだったことです。
発案者は通信業界の風雲児・板倉雄一郎さん。
サービスの名前を『Voice Link(ボイスリンク)』と言いました。
名前の通り、ボイスリンクは声を主体にしたサービスでした。
Zoomは画面共有などもできるため、機能的にははるかに高性能ですが、そこはラジオとテレビの違いのような感じです。
ラジオにはラジオの善さがあり、テレビにはテレビの善さがあります。
自分の姿をさらす必要のない気楽さが、ボイスリンクにはありました。
ともあれ、相互通話の積み重ねではなく、『仮想空間に集まって話をする』という設計思想の点でZoomとボイスリンクの先見性は際立っていました。
板倉さんが『天才』と称されるのも、うなずけます。
感情のコントロールがやや不安定な人ではありましたが、根は正直で、人のことを大切にする人でした。
より正確には『大切にしたい人』だったかな(笑)
いずれにせよ、ボイスリンクの設計思想は『人と人とを暖かくつなげる』ことでした。
わたしがボイスリンクに惹かれたのはその点です。
当時はまだ前職についており、副業は禁止されていましたから、協力はもっぱらボランティア的でしたが、新しいメディアをつくる興奮に胸が躍りました。
何より、東日本大震災によって日本人の意識が大きく変わる可能性に期待をふくらませたことが、活動のモチベーションでした。
しかし、残念ながらその後の原発再稼働に象徴されるように、結局のところ日本の意識変革は失速し、むしろ以前にも増して『当事者意識の薄さ』が蔓延する展開になりました。
また、ボイスリンク自体も事業化の軌道に乗ることができず、消滅。
変化の高揚感とは裏腹に、高みから真っ逆さまに墜落したことの痛みだけが残りした。
ただし、落ちても再び飛ぼうとする限り、すべての風は味方になります。逆風でもヨットが進むように……。
ちなみに、下の画像がボイスリンクの画面で、わたしのデザインです。

『つながるご縁』
Zoomに詳しい方はたくさんいらっしゃいますが、田原真人さんは日本導入のパイオニア的存在であり、『Zoomオンライン革命!』の著者でもあります。
わたしは一時期、田原さんと密接に連携し、Zoomの普及に励んでいました。
ただし、田原さんとつながったのはZoom自体がきっかけではなく、実はボイスリンクに関するご縁だったのです。
当時、ボイスリンクはひとまずリリースはしたものの、知人とその延長くらいまでしかリーチしていないごくごくマイナーなサービスでした。
田原さんは、それを独力で見つけ出し、人づてにコンタクトを取ってこられたのです。
『そんな人がいるんだ……』というのが、率直な感想でした。
田原さんはもともと予備校で物理学を教えていらっしゃいましたが、徐々に活動の場をオンラインに移されており、そのツールとしてボイスリンクに興味を持たれたのです。
後から聞いた話ですが、田原さんは他にもいくつかのWeb会議システムを試されており、『Go to Meeting』や『WizIQ』といった、それこそ知る人ぞ知るサービスにまで精通されていました。
『WizIQ』に関しては、日本で最初の代理店もされていましたね。
ただし、ボイスリンク自体が失速したこともあり、田原さんとのご縁はその時点で深まることはありませんでした。
Facebookでゆるくつながりながら、2年ほど経ったある日、唐突に運命の歯車がかみ合い始めます。
その時、わたしは自分で事業をスタートさせたばかりでした。
それまでずっとやりたかったカードゲームの企画・制作に乗り出し、四苦八苦していました。
そして、それまでつくったゲームの中でもっとも人気のあった『PAAR/恋人たち』の再版をクラウド・ファンディングしたところ、田原さんが強く興味を持ってくれたのです。
特に、『3.11をきっかけに人のつながりを大切にしたいと思うようになった』という投げかけが心に響いたようです。
ボイスリンクの板倉さんとも田原さんとも、そうした思いの共有が実際に『つながり』を生んでいったのだと言えます。
2014年のことでした。
ちょうどZoomの便利さが、一部の人に熱狂的に支持され始めた頃です。
わたし自身も自分でZoomに行き着き、その便利さに驚いていました。
当時、もっとも大きなインパクトは『録画機能』でした。
それまでのWeb会議録画は『Go to Meeting』などのサービスに何らかの画面録画アプリを組み合わせて行われていました。
しかし、うまくいったり、いかなかったり。
そもそも、まったく関係ない2つのアプリを連動させるところに無理があったのです。
それに対し、1つのサービス内で、しかもボタン1つで録画できるZoomの便利さは圧倒的でした。
以降、田原さんとはZoomで何度もやりとりをし、Web上でグループをつくって活動を続けました。
リモートワークやWebイベントの企画と実践です。
Zoom以前のオンライン・コミュニケーションの面倒さを知っていたからこそ、その恩恵を深く感じる日々でした。

『感動経営との出会い』
東日本大震災からボイスリンクというWebサービスに関わり、そこからZoomの伝道師とも言える田原真人さんにつながるまでの4年間。
いろんなことがありました。
そうして、さらに3年ほどが経過した2018年2月22日。
2が3つ並んだこの日は、個人的に忘れられない日になりました。
日付同様、2つの大きなことが重なったからです。
その日の午前中、わたしは虎ノ門にある司法書士さんの事務所で『自己組織化する株式会社』という組織の書類に押捺をしていました。
それは、田原さんの活動を広げるために設立された会社で、海外在住の田原さんに代わって、わたしが代表を務めることになった組織です。
とは言っても、名前の通り運営は自己組織化的で、堅苦しい規則などはありませんでした。
プロジェクトごとに希望者が集うアメーバ的な形態で、当時流行りのティール組織も意識していました。
ともあれ、法人組織の代表者になることには相応の緊張感と晴れやかさがともないます。
人生の大きな区切りになったことは確かです。
ところで、同日の夕方には、初めて臥龍先生のセミナーを聞く予定が入っていました。
それが2つ目の大きなことです。
先生とはかなり以前に名刺交換をさせてもらっていましたが、頻繁にセミナーを開催される方ではないため、もっぱらメルマガを読んでいるだけでした。
ただ、その内容が素晴らしく、『いつかお話をうかがってみたい』と思っていたのです。
その願いがようやく叶ったわけですが、拝聴したセミナーは衝撃でした。
お話を聞きながら、何度も涙ぐみました。
それまで、はかない夢のように考えていた『人を大切にする会社』というものが、この世に実在していること。
そして、それを意図的につくり上げる道筋を教えていただけたからです。
もちろん、人を大切にすれば、強い絆が生まれて業績も上がり、関わる人すべてが幸せになれます。
そうなるはずだと思いつつも、本気では信じられていなかったんでしょうね。
『働くのは辛いことだ』という昭和の亡霊的思い込みに、ずっと捕まっていたのだとも言えます。
それが、臥龍先生のお話を聞いて『希望を持つのは間違いじゃなかった』と感じられたのです。
長年の辛い思い込みから解放され、救われた心持ちでした。
セミナー後の懇親会もご一緒させていただきましたが、なにしろ法人を1つ立ち上げたその日です。
いきなりそちらの活動を放り投げて弟子入りするわけにはいかず、先生には事情をお話しして再会を約しました。
そこから1年ほどかけて自己組織化の代表を次の人に引継ぎ、感動経営コンサルタントの道を歩み始めたわけです。
Zoomは人と人をつなぐツールであり、その意味では『道路』と言えますね。
感動経営はその上を走る『車』ですね。
どちらも大切ですが、『人を大切にする組織』はわたしにとって、家族の問題ともつながる人生最大のテーマです。
しかも、それを自分の手で『創る』ことができる!
クリエイティブという点でも、これほどワクワクすることはありません。
その導き手、つまりメンターである臥龍先生に出会えたことは、人生のご褒美的な喜びと言えます。
オンラインから一旦離れ、リアルな修行を重ねた1でした。
といったわけで、ここ最近つながった方々は『スギオカさんは、なんでそんなにZoomに思い入れるの?』と思われていたかもしれません。
が、実は、それには上記のような前史があったのです。
人に歴史あり、かな?
わたしの中では、コロナウイルスによって断たれたつながりをZoomによってつなぎ直すことは、東日本大震災からずっと続いているテーマなのです。
今は、Zoomという道の上を走らせたい車もあるといった感じでしょうか。
いずれにせよ、実現したいのは『人と人とが暖かくつながる』ことです。

『サイバー空間というフロンティア』
新型コロナウイルスによって、あらためてZoomをはじめとするオンラインのやりとりに注目が集まっています。
テレワークやWeb会議が当たり前になり、サイバー空間(仮想世界)への滞在はむしろ時代の要請です。
それは大きな変化とも言えますが、見方を変えれば『必然的進行の加速』とも言えます。
そのことを歴史的な観点で解説してみますね。
話題を一旦、東洋に振ります。
仏教では、東と西の果てにそれぞれ聖域があるとされました。
西方極楽浄土は有名ですが、実は東にも東方浄瑠璃浄土があります。
両者の違いは司る仏様の違いです。
西方極楽浄土は阿弥陀仏の世界で『十万億の仏土を過ぎたところにあり、苦はなく楽にみちた』聖域とされました。
東方浄瑠璃浄土は薬師如来の世界。瑠璃(サファイヤ)のように美しく清らかな聖域です。
いずれにせよ、東と西の両方に救いがあるのは善いですね。
一方、イギリスやフランスで迫害された人たちは、新天地を求めてひたすら西を目指しました。
まずは、大西洋をわたってアメリカに。
続いて、アメリカ大陸上を西へ西へと進んだのです。
西海岸で金が産出されることがわかり、ゴールド・ラッシュなんてことも起きました。
そうして、アメリカ大陸の西端まで行ったところで、行く先は三方向に分かれます。
1つは、引き続き西を目指す動きです。
海を渡り、ハワイや日本へとアメリカの影響力を広げる活動が粛々と続けられました。
2つ目は、上。
西海岸から一旦南にくだりながら、宇宙を目指す人たちがいたのです。
初めて月面に人間を送り込んだアポロ11号が、フロリダ州のケネディ宇宙センターから打ち上げられたのは、1969年のことでした。
3つ目がサイバー空間です。
インターネットの発達によってこれまた前人未到の世界が開かれました。
GAFAの拠点が西海岸にある背景には、そんな歴史があるわけです。
地球上には、未開の地はほとんど無くなっています。
多少は残っていますが、『開拓』の対象地としては『皆無』と言っても善いでしょう。
それでもなお、求められる新天地として『宇宙』と『サイバー空間』はあるわけです。
実は、どちらの開発もフロンティア・スピリットに支えられているんですね。
次から次に出てくるYouTuberをゴールドラッシュに重ねると、イメージしやすいのではないでしょうか。
コロナウイルスの由来が『太陽のまわりの光の輪』であることもなんだか不思議な因果です。
人はまだ見ぬ土地に心躍らせ、冒険に出ることを望みます。
もちろん全員ではないでしょうが、ことサイバー空間に対しては、多くの人が背中を押されているのだと言えます。
もし、あなたがその地を冒険してみたいのであれば、あるいは背中を押されていると感じるならば、わたしと一緒に進みませんか?
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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